投稿論文集

海外とのビジネス連携を核に


行政書士 鈴木達也(昭和56年法卒 愛知県)

掲載日:2015-12-07

最優秀賞 受賞を受けて

 大学の未来にかける論文募集と聞いて、もともと、モノを書くことが好きな私としては、とりあえず応募してみようとペンを執りました。そして、夢物語のような大きなことではなく、小さなことでも、自分の仕事の延長で、何か母校に恩返しができないかなと考えた結果、本業の海外ビジネスのコンサルティングの事例の延長と実際の海外のニーズから、「東南アジアに大学分校を」ということに着地しました。
 私の父も白門卒業生、多くの諸先輩方の応募のある中で、このような大きな賞をいただき、母校のステージで直接受賞する機会をいただいたことは、真に嬉しい限りです。
 これを機会に今まで以上に母校への誇りと愛校精神をさらに高めていきたいと思います。受賞の直後、校内の南甲倶楽部さん、不動産建設白門会さん、行政書士白門会さんなどの各ブースで熱烈歓迎と祝福を受けました。
 そして、それぞれの会報に受賞論文を掲載したい、現役生徒の前で話をしてほしい、授業で使えないか大学幹部に話をしてあげる、などなど、大変ありがたいお言葉を頂戴しています。お恥ずかしい気持ちもありますが、論文の一部をご提供いたします。
 諸先輩方のみなさま、今後ともよろしくご指導願います。
 また、最近、「日本型移民国家構想」なることばを政府関係者からも拝聴します。
 今後の日本国家の存亡に外国人の役割が大きく影響するとの考えに小職も賛同するが、海外との関係は、急ぐ課題にはちがいなく、自らのビジネスチャンスにも思えて、大学との関わりも含めて、引き続き真剣に取り組んでいきたい。




創立130周年 中央大学の未来へ~私の提言~最優秀賞 受賞論文
「海外とのビジネス連携を核に」(一部抜粋)

序論 飛躍にかける想い

 私は、中央大学を卒業して、県庁に就職し、途中退職して、会社経営、そしてコンサルタントを営む愛知県在住在勤、56歳である。
 (略) わが母校の未来、他の大学をあっといわせる奇策とはなんであろう。
 私なりに、この論文募集の如何にかかわらず、ずっと考えてきた。機会があれば、多摩校舎に立ち寄る。(略)
 やはり、中大ブランド、白門ブランドにあこがれて、他の有名校を蹴って本学に入学、卒業した私としては、わが母校の評判があがることを誰よりも望んでいる。他力本願でなく、自分自身もできることを提言し、実行したいと思っている。

2 目指す方向は国際力強化

 では、中央大学が強く前進するために、どこに焦点をあてるべきか、いろいろ考えてみた。(略)
 そこで、今、国際ビジネスのコンサルタントをしている自分の視点に立ち戻って、やはり「グローバル社会における国際力の強化」に答えが戻ってきた。
 (略)

3 求められる国際力とのギャップ

 (略)
 全体として、我が国の大学は国際競争力がない。低レベルでの戦いだからこそ、少し努力すれば、比較優位になる可能性は高い。
 次に小職の経験から。どこの大学を出たか、TOEICの点数が高得点とか、海外で即戦力となるビジネスマンの評価選定には、いずれの指標もあてにならない。お付き合いのある東南アジアの複数の領事のみなさんも同じ苦言を口にされる。「社会や企業が求める即戦力とは何か?」。「即戦力のあるグローバルな若者をみつけるのは難しい。」といわれる。ここに、わが母校の将来戦略のヒントをみつけたり。

4 東南アジアに海外分校の開設

 ようやく結論である。私の希望は、本校の海外校の設立・開校である。座学より実践、グローバルなビジネススクールのイメージである。既存の学科の科目やカリキュラムにとらわれず、海外での生活、生き残りからはじまって、「実践的なビジネスのゼロからの構築を実践させる場」の提供である。
 場所としては、ベトナムのハノイ、あるいはカンボジアのプノンペンが候補である。中国、マレーシアは、すでに過去のマーケットと考える。ここは、また、競合他社、他校に比較して後進的すぎると判断する。一方で、現在のGDP伸び率、親日性、宗教を含めた国民性を考えたら、ベトナム、カンボジア、この2か国がベストと判断した。
 加えて両国とも、日本のODAなどによって、対日ビジネス専門家育成の土台がある程度、確立しており、日本のビジネスマンの現地での活躍やコラボのベースもできているように思う。実際、私自身がビジネスで訪問して感じてきた結果でもある。

5 若手ベンチャーの可能性

 私自身が、県庁で国際ビジネスの仕事を経験し、独立開業してから、海外展開のお手伝いを進めて長いが、「大手商社では手を出さない、草の根レベルでビジネスチャンスとなるネタ」は、実はたくさん存在する。
 また、一般の中小企業は、海外がビジネスチャンスと思いながら、現在の本業が手一杯で時間がない、資金がない、経験がない。を
 理由に最初のステップが切り出せない。
 私は、自分の顧問先、あるいは、異業種交流会の生徒さんに、「海外ビジネスのハードルは高くない。」と常に強調する。
 たとえば、「30万円だけ使って、海外で好きにビジネスを展開する実践型マーケティングツアー」も企画しお勧めする。現地の屋台を借りて自分の商材を調理して販売してみる。お客様の商材を海外で販売する受託契約をして、自分の海外の知人にアンテナショップとして販売をお願いする。このような機動的でローリスクのマーケティングこそ、大手企業がやらない、若者ベンチャーの強みではなかろうか。そして、この部分に焦点を絞って若者を育成している大学はどの程度あり、どの程度、優れた運営をいているのだろうと、少し自問し、調査してみようと感じた。
 これは大学本体でなくても、特定の学部でも、ゼミでも、サークル活動でもできることだと思う。これより先の現状分析とマーケット調査の詳細は、少し先になりそうだ。

6 提案と自分との関わりから

 私自身は、法学部の出身である。元来の海外旅行好きである。県庁を途中で退職し、現在は行政書士兼コンサルタントとして、主として海外進出のお手伝いや人材交流、在留資格の取得のサポートをしている。
 海外に仕事兼リフレッシュで放浪の旅に出て、昨年は、マレーシアの人材会社と業務提携し、今年はベトナム・ハノイの企業2社と業務提携し、現地駐在所開設に向けて準備中である。また、ODA関係のご縁があって、東南アジアの複数の国の領事と親しくさせていただいている。
 (略)

7 提案の検証と掘り下げ

 中央大学の前身は、「英吉利法律学校」と記憶している。現状を得て、その先に、たとえば「プノンペン分校」があっても自然の流れではなかろうか。
 海外の大学の日本校は、調べたところ少しずつ増えてきているようだ。一方、国内の大学の海外校は、まだ少ない。「日本の大学の海外分校」で検索したところ、ほとんどヒットしない。天理大学のパリ校は、どちらかといえば宗教的な協会の色彩が強い。最近では、私の地元の豊橋技術科学大学がペナン島に分校を設立。「グローバル社会で活躍し、イノベーションを起こす実践的技術者の育成」がコンセプトだ。私がめざすのは、技術者に限らず、「幅広く国際ビジネスの現場で、何もないところから、物ごとを構築し、ネットワークを築く人材の育成」である。
 未知、未開の地に、単身、投げ出された若者が、生きる手立てとして、試行錯誤しながら独自のビジネスを創造するイメージだ。

  

おわりに

 いまの若者に必要なのは、国際社会の中で貪欲に打たれ強く、生き残っていく力ではないかと思う。そして、そのような人材が企業でも社会でも重宝されるのではなかろうか。
 大学の「実践力養成を伴う国際化」を私は、未来への道筋として強く提案する。
 打たれ強い、逆境に強い、自ら切り開いてものごとを成し遂げる。そんな学生を育てるには、「日本より海外の土壌の方が適している」と思う。海外に分校を、それも他の大学が持たないコンセプトと機能をもったブランドで進めてほしい。
 入選はともかく、もし、この論文の思いが少しでも大学当局に伝わるのなら、積極的に何らかの形でお手伝いをしたいと思う。

以上


「新しい公共」という考え方と行政書士の関わり



掲載日:2012-08-19

  来月、私の出身大学から講師を招き、「『新しい公共』と市民の役割」というテーマでご講演頂けることになった。これに先立ち、「新しい公共」という概念、またそれに類似する表記や発想をもつ概念を整理し、かなうことなら、行政書士としてのわれわれの将来像を結ぶための材料、媒介を得たい。

1.「新しい公共」以前

     「新しい公共」という表記でこの概念を取り上げたのは、言うまでもなく鳩山由紀夫内閣(第173回国会所信表明演説)とそれに続いた管直人内閣(第174回国会所信表明演説)であるが、これら民主党政権によって「提唱」される以前から、「新しい公共」という用語が指示しようとするものと実質的に同じ問題意識に基づく議論はかなり以前から重ねられてきており、日本社会が明治期以前から有する高い公共性につき、大きな蓄積が自覚されてもいる。やや具体的には、ざっと乱暴に思いつくところだけでも、平成16年「国民生活白書」、平成17年3月「分権型社会における自治体経営の刷新戦略~新しい公共空間の形成を目指して~」などの政府側から公表されている報告書等のほか、小泉政権下で話題となった新自由主義や新公共経営論(NPM)、官民競争入札・民間競争入札(いわゆる市場化テスト)の活用による公共サービス改革、PPP/PFI、指定管理者制度の活用、特殊法人・独立行政法人改革や公益法人制度改革を初めとする個々の政策、CSR、ソーシャル・ビジネス、オープンガバメント、Gov2.0(高度情報通信技術の活用による政策形成過程の変革を希求する潮流)など、政府内外における広い領域での議論を挙げることができる。
     なかでも、平成15年8月から20回以上の開催を経て公表された総務省所管「分権型社会に対応した地方行政組織運営の刷新に関する研究会」の報告書「分権型社会における自治体経営の刷新戦略~新しい公共空間の形成を目指して~」(平成17年3月/以下「報告書」という。)は、第一に、地方自治体を取り巻く環境の変化として「1.社会経済情勢の変化に伴う経営資源の制約と公共サービスへの新たな期待 2.国と地方の関係の変更 3.『官』と『民』の関係の変化」を指摘している。その中で、「地域では、これまで主に行政により提供されてきた公共サービス(=生活するうえで必ず必要であるが、個人では解決・調達できないサービス)について、その提供主体となりうる意欲と能力を備え、かつ、鮮新世、開拓性、創造性に富んだ多様な主体(住民団体、NPO、企業等)が登場し始めており、このような多元的な主体により担われる『公共』(=『公共サービス』とこれに準じる『公共的サービス』の両方を含むもの)、いわば『新しい公共空間』をいかに豊かなものにしていくかが重要」であり、特に住民自治を本旨とする地方公共団体においてはこの取組みを最も適切かつ効果的に行いうる、として期待が示されている。同「報告書」は、つづけて第二に、地方自治体の行政組織運営の現状と刷新の必要性、第三に、地方自治体の行政組織運営刷新のための視点(「1.行政の担うべき役割の重点化と『新しい公共空間』の担い手の多元化 2.行政内部の変革と住民との関係の変革」)を示した後、第四に、地方自治体の行政組織運営の刷新の具体的推進手法として「1.地域協働 2.行政の多元化(主として外部委託) 3.(行政)組織・マネジメント、人事管理(の刷新) 4.行政評価 5.ICT(情報通信技術)の活用 6.議会(の刷新)」(( )括弧書きは投稿者)を挙げている。
     個々の論点における問の立て方や回答方針についての賛否は別段、その後の行政改革指針を形成し、現在に到るまでこの領域における具体的議論の基礎的資料の一つとなっていると評価することに大きな誤りはないと思う。後述しようとする「新しい公共」円卓会議、同推進会議との違いとしては、総務省所管として、自治体行政に対するより直接的な提言の形を採り、基礎自治体にまで及ぶ影響力を持ち得た点を挙げることができるかも知れない。
     このような形で、国政や地方行政との関係で「市民」との協働関係の高度化が要請された経緯については、国家財政の困窮と公共サービスの「持続可能性」をいかに確保するか、という議論を端緒とする一種の玉突き現象として整理されるのが一般的であると思う。
     すなわち、日本社会においては、公共サービス(=生活するうえで必ず必要であるが、個人では解決・調達できないサービス)は従来、政府(官=中央政府)が独占的に担ってきたが、近年、特に育児、介護、教育、医療、防災などの領域において公共サービスに対するニーズは多様化し、かつ、その力点は日常的に変動する傾向にあり、景気後退の影響が深刻化する中で、従来どおりの官民二元論(あるいは公・私の峻別)的な枠組みでこれに対応し続けることは何より財政的に不可能と判断され、国政において「小さな政府」(政府が担うべき公共サービスを実施すべき人的・物的資源の整理・縮小)が志向されたが、一方で公共サービスの担い手を補完する必要にも迫られることになり、政府が従来担ってきた公共サービス+αを代替する主体として地方公共団体(地方自治体法改正による機関委任事務の廃止など「地方分権」の推進。)と民間活力(「官民協働論」、「地域主権論」など)が活動領域を広げることを期待されるに到った。同時に、公共サービスの領域に民間参入促進を促すための施策が活発化し、PFI(民間資本を活用した社会資本整備)、PPP(設備投資、施設運営等の民間委託を含む民間活力活用)、指定管理者制度など一連の行政事務の外部化、NPO等に対する補助金、寄付税制改革その他税制優遇策による財政面での支援などが行われてきている、という。なお、かならずしもこのような流れから直接に導かれた訳ではないが、これに関連する自治体周辺の変化として、総論的なレベルでは政策法務や自治体法務と呼ばれる分野に係る各自治体組織内の取組み(例:千葉県総務部政策法務課の活動)を捉えることができるし、「まちづくり」(「都市計画」や「防災計画」といった単位から始まる議論ではなく)や公共契約の適正化、事業者による市民教育の活発化、法情報提供に関する議論の深化、公文書管理法、情報公開法等の制定、E-Gov.や高度情報通信技術推進、さらに農商工連携、地域資源活用、新連携の支援事業などにも留意したい。

2.「新しい公共」の概略

     鳩山内閣では、内閣府懇談会等として「新しい公共」円卓会議(以下「円卓会議」という。)が開催され、「『新しい公共』宣言」(平成22年6月4日第8回「新しい公共」円卓会議資料/以下「宣言」という。)は「『国民、市民団体や地域組織』、『企業やその他の事業体』、『政府』等が、一定のルールとそれぞれの役割をもって当事者として参加し、協働する。その成果は、多様な方法によって社会的に、また、市場を通じて経済的に評価されることになる。その舞台をつくるためのルールと役割を協働して定めることが『新しい公共』を作る事に他ならない。」とし、具体的な政策イメージとして「非営利セクターの活性化とソーシャルキャピタルの育成」、「新しい公共を担う社会的・公共的人材の育成」、「公共サービスのイノベーション」、「新しい発想によって地域の力を引き出す」、「『共感とコミットメント』の経済活動による社会のつながり形成」、「民間による組織的な公共的支援活動」のそれぞれについていくつかの先行事例等を掲げている。これに直接/間接に影響を受ける形で、中間支援NPO法人の支援その他NPO法人制度改革(参照:特定非営利活動法人法別表第17号)、税額控除制度、認定NPO法人制度の改正(「絶対基準値」採用その他PTS要件に係る改変、「仮認定」導入など)、控除対象寄付金適用限度額の引下げ、特定寄付信託制度の創設その他市民公益税制の導入、社会事業法人(仮)制度創設案を含む法人制度全体の最適化に関する議論などが政府内外で高まり、現在に到るまで徐々に具体化しつつある。
     つづく管内閣ではこの円卓会議を継承して「新しい公共」推進会議(以下「推進会議」という。)を設置したものの、その後の野田現内閣においては触れられていないようなので、先行きは不透明な点もあるが、推進会議は現在も様々な関連する調査、懇談会等と連動しながら継続されており、平成23年7月20日第7回会議資料として「『新しい公共』推進会議の提案と制度化等に向けた政府の対応」や、直近では平成24年1月12日に行われた会議資料が公開されている。また、東日本大震災の復興支援に関する一連の民間活動は、行政組織が現行法制上有するユニットを超越した形で集約され展開されたものであり、「新しい公共」の実例として大きな注目と期待を集めている。

3.「新しい公共」に対する行政書士としての関わり

     以上に見た「報告書」や「推進会議」の関連資料にも表れているように、官民協働、「新しい公共」、地域協働という切り口で、行政が市民セクターと呼ばれる民間の個人や団体(のうち、一定以上の意欲と能力等を有する層あるいは集合の形式)に期待する役割は、公的サービス提供事務の受託(事務負担の外部化による財政健全化、公会計適正化の環境整備)と政策形成に対する関与(いわゆる提案型協働事業という形式による政策提言。ただし、政策形成過程へのより純度の高い関与は、意見公募制度や審議会、懇談会等における意見表明を通して行うか、そうでなければ選挙や請願などを通じて行うほかなく、現行憲法以下の法制度を前提とする以上、それは特に不当なことではない。)の2つに一応は集約することができる。もっとも、事務受託型協働と提案型協働のいずれのあり方を重視すべきかという議論よりも重要なのは、「官(政府)と民(非政府)」、「営利組織と非営利組織」、「制度化された組織・活動と純粋に任意の組織・活動」の相互補完による公共サービスの最適化のための具体論であることは言うまでもない。
     行政書士としては、新しい公共支援事業を始めとする多くの制度改革がすこしでも早い時期に、その実を上げるよう、具体的業務を通じて「新しい公共」を支援することができるであろう(特にNPO法人の運営に精通している一部の行政書士にとっては、中間支援NPOなどを通じたより幅広い業務の可能性も想像される。あくまで想像だが。)。それは制度傾向を踏まえた事務所経営と表裏であることを考えれば、非営利・営利(士・業)いずれの側面においても、現在進行している「新しい公共」を初めとする公共政策周辺の議論に対する関心は(個人的には)高まらざるを得ない。
     また、連合会や本会、支部といった単位(あるいは任意団体の単位)においても、具体的な政策提言や事業提案を通じ、より直接的に「新しい公共」のプレーヤとして参加することも可能なはずである。たとえば、ひとつには、東日本大震災に係る復興のための取組みにおいては、規制行政をはじめとする行政法の執行過程において、法が実現される現場における専門家である行政書士が果たし得る役割は数多くあるのではないかと思う。また、「新しい公共」に類する議論は、いずれも「なにが『新しい公共(空間)』であり、それはどのようなルールのもとに運営されていくべきか」といったテーマについての討論の場を育て、拡張していくこと自体を求めるという側面を強くもっているが、討論の前提として欠くことができない要素のうち最も重要なものは、情報の非対称性の解消と情報リテラシーであることは言うまでもない。自由主義の適正な実現が手続的正義としての民主主義を要請し、民主主義がその基礎的インフラとして情報共有の深化と円滑化を要請することからすれば、情報リテラシーを養成する活動の一種として「法教育」への参画が持つ意義は、きわめて大きいと感じざるを得ない。特に本会の北支部では早い段階から法教育の出前授業が行われているが、そこでは「地域」という軸が、行政書士が行うべき法教育の特長として自覚されていたように思う。ただ、「『新しい公共』推進会議の提案と制度化等に向けた政府の対応」(平成23年7月20日)でも明記されているように、行政との協働関係を適正に結び、継続的に協働関係を深め、拡張していこうとする際、「適切な契約のあり方」や「適切な積算・支払のあり方」に対する配慮は、法律家としてでなくとも、不可欠の視点である。
     その他、このテーマにおいて触れるべきこと、触れたいことは数多くある。できれば私よりはるかに深い経験や高い見識をもった人々の集まりであるはずの本会の活動において、国や東京都、基礎自治体の「新しい公共」を実現するための施策に積極的な提言や関与を期待したい気持ちになってしまうが、それでは「新しい公共」空間に生きる市民として最も肝心な条件である自律性を損なうような気もする。かならずしも成功してはいないだろうが、日々の仕事を通じてできる限り質の高い業務を提供する努力を重ねているつもりであるし、公共空間に対して本日現在できることはその限りであろうというのが実感ではあるが、いずれそれを超えて何かしらやりたくなったときには自分で責任を負ってやります、と求められもしないのに姿勢を表明して筆を擱くことにしたい。
     なお、本稿は、内閣府、総務省、経済産業省を初めとするHPや民間のBLOG、ネット上に公開されている多くの論文の他、東京都行政書士会品川支部、行政書士公法研究会、中央大学学員会行政書士支部の諸先輩方からのご指導にきわめて多くを負っているが、言うまでもなく、立場を弁えないかのような誤解を与える文調についても、また本稿が含むであろう数多くの誤読、誤解についても、一切が私の能力と努力の不足に起因するものである。それでも(それゆえ)、今後も様々な機会と媒体を通じ、先輩諸兄のご指導を頂戴できれば望外の幸せである。